2010年11月17日
今出川DE龍馬 フィールドワーク編!
こんにちは
でまち家新スタッフの兵頭です!よろしくお願いします
今回は今出川DE龍馬の最終回ということで、中村先生とともにフィールドワークに行ってきました。
まずは、でまち家からも近くの石薬師通り沿い「大久保利通旧邸」です。
ここは慶応2(1866)年春から同年4(1868)年6月までの大久保の住居跡です。
でまち家のこんな近くに大久保利通が住んでいたなんてびっくりですね!
続いて、薩摩藩士の墓碑です。
こちらは相国寺塔頭林光院の墓地で、禁門の変や鳥羽伏見戦争の薩摩島津家の戦死者など72名を祭っています。
島津家重臣桂久武の日記によると、慶応2年の薩長同盟の直後2月18日に墓参していることから幕末に存在していたことは確実なのです。
西郷や大久保も墓参したのでしょうね!
最後は、京都御苑内にある近衛邸跡です。
近衛邸は、嘉永6年10月2日巳刻(西暦1853年11月2日午前10時ごろ)篤姫が訪れたことが確実な場所です。
内々だったため、「姫」ではなく「老女」の扱いで裏門から入ったそうです。
また、こちらの池は近衛家現存唯一の遺構です。篤姫も観覧したかも知れませんね。
以上、今出川付近の幕末遺跡を巡ってきました。
普段見慣れた景色でも、見方を変えてみたら新たな発見にあふれていました!
みなさん、お疲れさまでした(*^^)v
でまち家新スタッフの兵頭です!よろしくお願いします
今回は今出川DE龍馬の最終回ということで、中村先生とともにフィールドワークに行ってきました。
まずは、でまち家からも近くの石薬師通り沿い「大久保利通旧邸」です。
ここは慶応2(1866)年春から同年4(1868)年6月までの大久保の住居跡です。
でまち家のこんな近くに大久保利通が住んでいたなんてびっくりですね!
続いて、薩摩藩士の墓碑です。
こちらは相国寺塔頭林光院の墓地で、禁門の変や鳥羽伏見戦争の薩摩島津家の戦死者など72名を祭っています。
島津家重臣桂久武の日記によると、慶応2年の薩長同盟の直後2月18日に墓参していることから幕末に存在していたことは確実なのです。
西郷や大久保も墓参したのでしょうね!
最後は、京都御苑内にある近衛邸跡です。
近衛邸は、嘉永6年10月2日巳刻(西暦1853年11月2日午前10時ごろ)篤姫が訪れたことが確実な場所です。
内々だったため、「姫」ではなく「老女」の扱いで裏門から入ったそうです。
また、こちらの池は近衛家現存唯一の遺構です。篤姫も観覧したかも知れませんね。
以上、今出川付近の幕末遺跡を巡ってきました。
普段見慣れた景色でも、見方を変えてみたら新たな発見にあふれていました!
みなさん、お疲れさまでした(*^^)v
Posted by 同志社町家プロジェクト at 13:14│Comments(0)
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